26 Nov 2010

DRINK IT DOWN!

この2週間でとんとん色々進んで、私自身は何もしてないけど、色んな事が進んだ。何はともあれ、顔の傷も絶賛回復中で、今の私は絶好調。

今週イラストレーターの友人と話していて、一人は「3年は楽しかったけど、今になってなんかフリーっていう事の危うさを感じだした」と言っていた。
翌日、他のイラストレーターの子は「仕事はあるけど、定収入じゃないからできる事も限られるし自由だとは思ってない。」と話していた。
その日の夜、カメラマンの女性と話していて「フリーになってかなり厳しい。またスタジオに入る事を考えている」と言いながら今してる仕事を見せてくれた。かなり活躍してるけど、芸能人を撮りたいわけじゃなかったらきついんだと思う。「あと4、5年やってればやりたい仕事できるようになるのは見えるけどね」とも言う。
そんな話をしてる時、ヘアメイクの子が「ずっとやりたかった仕事が決まった!」とメールをくれた。
で、今ではR&BなOLになった10年来の親友がなぜか私に恋愛相談をしてくる。(私ほど不向きな人もいないのに。相当行き詰まったらしい。)
ついでに、もうずーっと前に知り合ったビジュアル系な友人(某有名バンドおっかけのカリスマ)に偶然会う。やっぱり、何かを極めた人は見た目も人と違って当然だった。

そういう全てを総括して、私は思った。

飛び込んだ後は自分しかいないのであります。

歩いてる時も走ってる時もまわりには誰かいて、不安を愚痴りあったり、わいわい励ましあったりはできるけど、
ここぞ!という一瞬を飛び込んだら、後は自分しかいない。
何かを諦める事ですらすごく勇気のいる事で、一人で戦い続けるなんて事は強靭な精神がないとできない。

だけど、飛び込んでしまえば、後はもうやるしかない。
うまくいかない事なんていくらでもあるし、やっぱり生きてるのは映画でもドラマでもないから起承転結もなく、思った場所におちない事もありえるけど、そんな事はどーだっていい。

そんな事より、無意識に選んでいて、無意識に続けてきたような事のさきに、全員がまだまだそこから離れる事もなく、続けるための試行錯誤をしているという、それ。それにつきる。

素晴らしいことです。そんな素晴らしい友人がいるっていう、私の幸せについてでした。


17 Nov 2010

We Salute You.

私にとって初めて「私の仕事」といえる仕事があがった。
今日やっとあがりが手元にきて、社長さんと、今まで制作してきたチームの2人と4人
でそれを眺めていて、
なんというか、もう、これが「胸がいっぱい」という事なんだと思った。
いいものができたと思う。売れて欲しい、本当に。評価されて欲しいと思う。
嬉しい事に、発売告知で一度だけうった小さな広告に問い合わせの電話がきているそうなので、これから発売されてから、手に取ってもらって喜んでもらいたい。
お金が動くのと同時に人が動くのが切にわかる仕事だけど、会った事もない人が、私の作った物、みんなで考えた事のために動いてくれて、何万個もの内職作業を丁寧にしてくれる方々がいて、製品として仕上がったこの不思議な感覚。
普段の仕事では一年かけて作る事なんてまずありえない。
私がこれからどんな仕事をするか、全く自分でわからない現在だけれど、きっとこういう仕事のやり方をする事はもう二度とないと思う。
何より、仕事というのは、完成して手を離れたら、もう二度とそのライブ感を味わう事ができない。
私がその仕事に対してデザイナーでいられる時間というのは、限りなく少ない時間で、今こうして胸がいっぱいになったこの感動というのは、今この時にしか味わえず、多分来週にはもう自分の手から離れてしまう事なんだ。


学生の時は手を動かしていると自分には輝かしい未来が待っているように思えていたけれど、今私が大事に感じているのはそういう事じゃない。
欲があったし、自分を過信して現状に目隠しするような欲だった。
見えないものを見る力と、見えるものを信じる力を大事な人たちから教わって、そうやって進んでいくことに価値を感じる。


大きな希望とか完璧な自分らしさとかではなく、そういう高級なものではなく、もっと手元で暖かく、手のひらにのせているとそれだけで全体が温まるような、そんなシンプルでなめらかでで純朴な何かが、かけがえのないもの。

人生は長くて、私が今の私でいる時間はきっと限られているけど、こういう事こそ、絶対に手放しちゃいけない、守るべき何かな気がする。

これからどうなっても、こういう気持ちを一生忘れないでいられる自分でいたいと思う。
いい一日だった。


シンプルでなめらかで純朴な、かけがえのないもの。






14 Nov 2010

gavotte

怪我をして、実はかなり落ち込んでいたのだが、恋人と家族と友達のおかげで立ちなおった。
場所が顔だけに、すごく悲しかったんだけれど、もう泣かないで頑張れそうな気がする。
久しぶりに高校の部活の友達が集まって話していて励まされた。
全く違う事をしている人達とたまに話すのはいい。
中学の時は高校があって、高校の時は大学があって、大学の時は進みたい道があって、
と、先がいつも見えていた時代はもう終わって、これからの人生は自分でやった分だけ、どこへでもいけるし、どこにいくかわからない状況がこれからずっと続く。
来年で医者になる子もいるし、結婚した子もいるし、会社が好きだという子もいるし、
同じ場所で同じ事をしてたのに、誰一人私ではなくて、誰一人一緒に道を歩いていないのに。
私が今大事にしている事は、あの頃知らなかった事だけど、こうして時間がいくらたっても、人の幸せをみんなで集まって喜べる仲間っていうのは幸せな事だ。
私の幸せは私のものだから、人に全く同じように感じてもらうことはできないのに、やっぱり人と共有したいと思うのは、そこに一緒に育んできた時間と信頼があるからかな。

この写真だけでも幸せになれるけど、それを一緒に共有できる事の方が今の私には大事な事だ。

「実在は本質に先立つ」

受け取り方によってはすごく詩的な言葉だと思う。







4 Nov 2010

tower

秋の褒章の方々。
紫綬褒章に 田中裕子さん 風間杜夫さん 杉本博司さん 宮本輝さん 
という、私が敬愛する方々がそろって受章された。
とくに田中裕子さんの受章は特に嬉しい。
朝日新聞系の受章のコメントで、


役者を続ける原動力は? との問いに

「一見みえにくいものをのぞいてみたい好奇心かな」と  応えてらっしゃった。


田中さんの作品の中でも特に好きな2作。

「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」
このジュリーに笑いかけるシーンがとてもじゃないけど、たまらない。

「虹をつかむ男」
ニューシネマぱらだいすの上映が終わってでてきてから西田敏行とのシーンがたまらない。
(あの西田敏行の笑顔・・・)


そして、宮本さんは私の特別な作家さんなので、日経の一面を見ながらじーんときた。
「文化に僻地があってはならん」 という言葉が改めてしみる。


みなさま、おめでとうございます。










3 Nov 2010

education

久しぶりに10年間通学した電車にのった。
中学高校の6年間を片道約40分+大学4年間を片道1時間半×10年
この時間が結局学校教育よりも身についた。

小学生の時は中学から新しい自分になると意気込んで、高校の時は大学になったら、と夢を持っていて、大学の時は社会にでたらその先ずっと社会にいるんだろうか、いれるんだろうか、それとも全く社会と関係したいと思わなくなるのか、まるで想像もつかなかった。

私は自分をねじ曲げてまで社会に収まる事にしたタイプなので、結局折れてしまった人間。
それは情けない事でもあるし、反面、自信でもあるし、自分で決めたこと。でも、揺らぐ。

核家族の狭い世界で幼少期を過ごし、私立の中学高校で教育されて、同じような人たちが集まる中で友情を築いて、同じ志を持った人がいる大学に身を置いて、いつだって結局自分に与えられた、自分が安全でいれる範囲でしか世界を持っていなかった。
それは幸せな事でもあるし、誇りでもあるけど、狭すぎる。
全然違う人のいる所へ、同じ事をしていない人のいる所も知りたい。

本の中で知る人の複雑さも、世界の猥雑さも不条理も、それを知るために自分から枠を広げる事も、全て本から受け取った。
この通学時間の中で、優先席でぼろぼろ泣きながら思った事とか書いたメモとか、全部もう忘れてしまったけど、その時、この席で泣いてたなあと今でもふと思う。覚えている。

影響されて消えていったものもあるし、反発して残ったものもあるし、自分の中で淘汰されたものも、私の一部だった。不完全である事に気づいている。なくしたものを知っている。
真実を探して現実から逃げていると、自分を見失う。絶望をおそれると希望を見失う。



自分で考えて決めて、それに心を尽くすしかない、いつだって。
人生で私ができる事は結局いつだってそれしかない。


教わることより、考えることですね。 いい学校に通ってたなと思いました。