14 Feb 2011

Thank you 25, Hello 26!!

今日はバレンタインデーで、私の誕生日。
今夜東京は雪が降ってます。

雪が降る東京の夜は、静かで、いつもの音が全部雪に吸い込まれて何も聴こえなくなって、
これが私が一番好きな東京。
渋谷からの帰り道に誰もいなくて、雪を踏む音だけして、最高だった。


最高の誕生日プレゼントです。


 こういう、言葉にならない素敵な事が、これからも待っていてくれますように


ありがとう!



8 Feb 2011

Korea

韓国へ行ってきた。


今回はマイルの有効活用目的の旅行でしたが、私のお目当ては「宿」。

楽古斎に宿泊しました。

ここは、キムギドク監督の「悲夢」の撮影に使われた、韓国の伝統的家屋「韓屋」を旅館にした所。
私は韓国行きが決定した8月に即、宿に予約をいれる気合いのいれよう。
ここは建物は壁も窓も簡素な作りだけれど、床にオンドルが入っているため非常に暖かい。
初韓国、初オンドルに末端冷え性の私、感動。

そして、特筆すべきはここのサウナ。
各部屋にお風呂がついていますが(ドライヤーもあった)この宿にはサウナが一室ある。
ここが素晴らしい!!
この漆喰を塗った職人さん、ぜひ日本に引き抜きたい!と、
全くそんな職種ではない私が大興奮の、素晴らしい壁です。
ここで、藁のゴザの上に寝転んでじっくりヨモギに蒸されていくという仕組み。
日本や、トルコやインドで味わうサウナとは全く違う心地よさ。
ここを訪れる方には是非一度ご体験頂きたい。

進んで進んで、爆進し続けるソウルの中で、私が見たかった、静かで優雅な韓国が味わえた。







5 Feb 2011

ALL ABOUT MY MOTHER

エジプト騒乱。

「政権を倒す」文字で見ると本当に恐ろしく大きい出来事に感じるのに、

実際は国民性虚弱体質で軟弱にいきてる私にはこの年になっても本の中の出来事のような話に感じる。

そんな情けない話だけど、日本よりもずっと国土も人口も少ない国でおこっている事実だし、

私は報道とか現地にいるとかそういう事では全然リアルではない、そんな現実。

けれど、その中でこの混乱の中で息子を亡くした母親の記事をよんで、それがたまらなかった。

街の土産物店をきりもりしながら一人で息子たちを育ててきた母親。

「働く母親」それがのすごく響いてしまってどうしようもなかった。たまらなくリアルだった。


そこから飛んで、自分の話。


私は先週、会社を辞める意向を上司に話した。

その時の事は、なんだか人生でまたとないであろう幸せな言葉とか、有難い思いがあったけど、

それよりも、忘れちゃいけないものについて。


私はフェミニストでもなんでもないけど、社会で働く上で男女に差を感じない。

女性は困難を受け入れるだけの度量がもともと男性よりもきっと広いのだと思うけど、

最近は男性もそれによって女性がどれだけの我慢をしてるかを受け入れるだけの許容量をもっているように思う。

別にフェミニストじゃないんだけど。(2回言う)

だから働く女性はもう決して社会的に辛い立場ではないと思っている。(でも自分が恵まれてたのもわかってます)


ただ、働く「母親」が辛いのだ。


どんなに完璧に背筋を伸ばして社会に貢献しても、どんなに立派で芯の美しい潔白な女性であっても、

どんなに愛情をもって子供を育て旦那の世話を焼き家事をしても、

「専業主婦」という名前がある限り、「外にでて働く母親」は心の奥で後ろめたさをもつ様に感じる。

私は働く母親をもって、その背中をみて育って、今、自分は一度仕事を辞める事にして、

言葉にならない気持ちでいっぱいです。


母は社会の中で働くというより、自分の能力で直接人に貢献する事を仕事にしてきた人で、

その楽しさと厳しさが私も働きだしてもう色々わかってきた今やっと、わかるのだ。

あんな事は到底私にはできない。

若くに世界を経験して帰って来てその礎から自分の居場所を作り上げて人に貢献して人を育てて今もそこにいる。

そこに先立つものもなかったのに。

ひとつの事を突き詰めていきていったらそうであっただけで、

成功とも成就ともつかない週5日のフルタイム以上の自分の選んだ道をずっと、今も。

成功を目指して生きる人にはできない事なのだ。

練習して練習して練習して、その先に「ああ、自分はこう生きよう」という意志があって、

結婚して私が産まれて事情も決意も変われど、信念だけは変わらずにいたから、そういう人は続いていくのだ。

芸術に没頭してそれを仕事にしてしまったからにはもう仕方ないのだけど、それでも、とてつもない事だ。

なのに、甘ったれの小さい娘が泣くと、そういう事のひとつひとつが母親には後ろめたさになっていく。

これが父親だとそうはならない。(父にはまた別の尊敬の気持ちがある)

母から、デザインはやっぱり芸術の手前で一歩踏みとどまるのだな、自分はそっちではないんだな、と感じた。

表面ではわからない事を背中で教えてくれていた。

そういう事全てをわかっていながら、それでも、今、私は仕事をやめてみようと思った。

若い時にしか言えない事があり、無知な時にしか気づけないものがあって、

自分がどれだけのものを与えたり奪ったりしているのかわからない。

ひつとの事が呼ぶ連鎖でどれだけの余波にであうのかわからない。

先の事はわからないから、こうして色々感じる。


勿論、働いている母親だけが大変なわけでも、働かない母親が自由なわけでもない。そんな安易な事ではない。

ただ私が今思っているのは、


やらなきゃいけない事とやりたい事


社会と自分と家庭と愛情


必要と不必要と不可欠と充実


そういう事を背負って、それでも働いて家に子供がいる、

そういう状況を選んだ、選ばざるをえなかった女性への尊敬、それだけです。


子供は小さくてもわかっている、自分が天秤の上にいるわけじゃない事はわかってる。

わかっているけど、それをまだ愛情を通して表現できないし、

子供は大人以上に大人で、大人は子供以上に子供だからジレンマがおきてしまう。

でも母親はその存在だけで、子供に許されて愛されているんだからそこで戸惑う事はない。

母親はいつも子供を許してくれるけど、子供だって母親を許している。

でもあまりにも自制心もないし、無邪気すぎるだけなんだ。そこには伝えなくても伝わるものはある。


私はそれに気づいたのが12、3くらいだったので、すごく遅かったと思う。

どれだけ無力で無知だったのかを思うと情けないと同時に、思春期までにきづけた事が自分を決定づけた気がしている。

母だけでなく、父にも、叔母にも、本にも、教師にも、まわりの全ての人によって気づかされた。

やはり子供は皆、大人の背中を見て育つのだ。それがどう作用するかが人それぞれなだけで、そこはもう親の責任ではない。


有島武郎は親の気持ちを全部はきだして文章にしてくれたし、

ペドロ・アルモドバルが世界中の母親を励ましてくれたけど、

私の職場に働く母親はいない。

女性はいても、母親はいなかった。

たしかにこの仕事を母親でと考えたら今いたたまれない気持ちになった。


私は14の時に自分は働く人になろうと決めてそういう道に爆進しようとした。それは今でも変わらない。

でも、こうして母親でもなく、働きもしない時間をつくる事にして、

贅沢な時代に傲慢になってしまいがちな怠惰な自分をすごく感じる。

自分を納得させるのにはずば抜けて長けた世代だ。

楽しさと、噛み締める幸せはまた違う事。  だから、これからの間に忘れてしまう事がないように書いてみた。


そして、私の心の励みになっている、あの世界中の「働く母親」たちに、

もっともっともっとありったけの幸せをかみしめてもらいたい。


世界中のどんな状況下でも、「働く母親」が涙を流しているのは私には何よりも悲しい光景だ。

働く理由はそれぞれで、人の事は羨ましく思えても当然だけど、背負うものはきっと同じだと思う。

私は親戚のおばあさんの人生を思うと、

どうかこれからは、働く女性が子供だけでなく家庭からも社会からも報われる世界に、とこみ上げる。

まずその一つとして自分がそうありたいと思う。

そういう意識が、国民の意識レベルにおいつかない政治よりも、ずっと近くで人に作用すると思っている。

愛情に勝るものなんて誰にも見つけられない事を感じる。



   そんな長い話。  20年後にどう思っているんでしょうか。



世界中の働く母親と、働く母親だった全ての女性に、心からの尊敬と感謝をこめて。